■日本のスクーターの歴史
スクーターにも色々と歴史があります。こんなバイクもあったなあと思われる方も多いはずです。既に生活の足に溶け込んでいるスクーターについて歴史と現状について見てみましょう。
●黎明期(昔は物を運ぶ道具だった)
日本で本格的に普及した最初のスクーターは、1947年に富士産業(現:富士重工業)が製造を開始したラビットでです。翌1948年には中日本重工業(現:三菱重工業)がシルバーピジョンの販売を開始しました。
当初は5インチ程度の小径タイヤに2馬力の非力なエンジンで、サスペンションもごく単純なものしか備えられていませんでしたが、国内の道路状況の改善と共に急速に進化し、国民の足として活躍するようになりました。
当時はオートバイよりも積載性と乗り心地に優れ、自動車よりは安価な実用交通手段として普及しました。
1950年代には三光工業のジェット、平野製作所のヒラノ、東昌自動車工業のパンドラ、宮田製作所のミヤペットなど大小各社が参入したが、メグロやキャブトンといった戦前からのオートバイメーカーは参入せず、スクーター市場はラビットとシルバーピジョンの2社がリードしていた。
現在もオートバイの製造を行っているメーカーとしてはホンダとがヤマハがそれぞれ、ジュノオとSC-1を発売した。
1954年から発売されたジュノオはFRPで覆われた全天候型ボディと片持ち式足回り(KB型)、バダリーニ型無段階変速機(M85型)などを装備した。
1960年発売のSC-1は当時のライバル、ラビット・スーパーフロー型を上回る動力特性(2ストローク、10.3馬力)と流体式トルクコンバータを備え、ジュノオ同様に片持ち式サスペンションを採用した。
だが実用車のシェアは1958年に発売されたスーパーカブのようなビジネスバイクに移りつつあったため、両社ともこれらに続く製品をスクーター市場に投入することはなかった。
1960年代に入ると四輪自動車が普及するようになり、実用的な二輪車はスーパーカブをはじめとする、さらに安価で積載量が大きいビジネスバイクがの台頭するようになった。スクーターの市場は減少し、シルバーピジョンが1964年に、ラビットが1968年に生産を終了すると、日本国内にはスクーターを製造販売するメーカーが存在しない時期が訪れた。
●ソフトバイクブーム(足の道具としての大衆化)
1976年にホンダはモペッドのようにシンプルな構造のロードパル(通称「ラッタッタ」)を発売し、簡単操作、軽量、低価格を売りにして主婦層への浸透を図った。
これに対抗してヤマハは1977年にパッソルを発売した。1950年代に普及したスクーターよりも小型・軽量で、外装パネルで覆われていない外観的特徴などから、当時はソフトバイクと呼ばれて区別された。
カブなどの実用車とは一線を画すおしゃれなアンダーボーンの車体に、自動クラッチ、自動変速を備えており、始動方式はキック式が採用されていた。またブレーキ系統も実用車や従来のオートバイと異なり、左レバーで後輪ブレーキを操作する自転車式であった。出力はロードパルが2.2馬力、パッソルが2.3馬力と極めておとなしいものであったが、自転車感覚で乗れることが大いに受けてブームを巻き起こした。中でもパッソルはステップスルーを採用して女性がスカートをはいたまま足をそろえて乗れることをアピールし、これがスクーターブームの先駆けとなった。
1980年にホンダ・タクトが登場するとスクーターのラインナップが充実してきた。ラビット時代のスクーターは排気量が大きく、この当時の運転免許制度では自動二輪免許が必要な排気量のものが主であったのに対し、原付免許で乗れる50cc以下の車種がほとんどとなった。
当時はヘルメットの着用義務がなかったことや、エンジンの性能が向上して50ccでも十分な動力性能が得られるようになったことが主な理由である。同時に50ccクラスの国内市場は、実用車の他はほとんどスクーターに占められるようになった。かつてはスクーターはバイクに比べて大型の乗り物であったが、この当時は逆にバイクより小型の乗り物という認識が生まれた。
●ビッグスクーターブーム(足を兼ねたレジャー・ファッションへ)
現在、ビッグスクーターと呼ばれる車種の代表的な特徴であるロングホイールベースを初めて採用したのは、1986年発売のホンダ・フュージョンであったが、当時はレーサーレプリカが流行していたこともあり、あまり注目されなかった。軽二輪車の保有台数は1990年代半ばに減少傾向に転じ始めていたが1995年にヤマハ・マジェスティが発売されると、そのデザイン性が若年層にも受け入れられてヒットした。
その後、ビッグスクーターのラインナップは拡大し、国内4メーカーのうち、カワサキを除く3社が幅広い商品ラインを展開している。2003年には(50cc超の)自動二輪車の出荷台数の内6割以上がスクーターとなり、これがビッグスクーターブームと呼ばれるようになった。このブームを受けて、2005年6月にはオートマチック限定免許も新設された。
原動機付自転車よりも法的な制約を受けず、大きな排気量のエンジンによって機動性が高いこと、一方で、従来のオートバイよりも利便性と簡便性に優れていることがブームとなった理由と見られている。
なお日本では「ビッグ・スクーター(Big
Scooter)」と呼ぶのが一般的であるが、ヨーロッパでは「マキシ・スクーター(maxi scooter)」と呼ばれる。
●近年の傾向
大柄な車体と長いホイールベースを持つスタイルが流行の、いわゆるビッグスクーターとは別に、比較的小さな車体と51-125ccの排気量を持つ第二種原動機付自転車(小型自動二輪車)のスクーターが、近年は都市内移動の用途として注目されている。
原付一種の販売台数が、排ガス規制の強化が適用された翌年の2007年以降から大きく減少し、軽二輪や自動二輪が減少傾向の一途をたどるなかで、原付二種は減少の度合いが比較的小さく、むしろ2008年から2010年は回復基調にある。
日本のスクーター市場は戦後の復興とともに独特の歴史を歩んできたが、近年ではキムコやSYMなど、日本のオートバイメーカーから技術供与を受けて成長した台湾メーカーによる50-125ccクラスの製品が日本市場に進出しつつある。
Update 2016/03/18 Create 2012/03/10
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